作曲者:ヨハネス・ブラームス(1833~1897)
作曲年:1868年頃
初版出版:1869年
「ハンガリー舞曲 第5番」は、ドイツの作曲家ヨハネス・ブラームスが作曲した《ハンガリー舞曲集》全21曲の中でも、とりわけ有名な作品です。原曲はピアノ連弾(1台のピアノを2人で演奏する形式)のために書かれ、第1~10番は1868年頃に成立し、1869年に出版されました。
第5番は、急速なテンポと激しいリズムの変化が特徴で、ハンガリーの民族舞曲を思わせる情熱的な雰囲気に満ちています。特に冒頭の印象的な旋律と、ゆったりした部分から一気に速度を上げる展開は、この曲の大きな魅力です。
ただし、第5番の旋律はブラームス自身が創作したものではなく、ハンガリーの作曲家ベーラ・ケーレルの「バールトファイの思い出」というチャールダーシュ(ハンガリーの代表的な舞曲)をもとに編曲したものです。ブラームスは当時、この旋律をハンガリーの民族音楽だと考えていました。
その後、この曲はさまざまな形に編曲され、特に管弦楽版によって世界的に知られるようになりました。現在ではクラシック音楽の中でも特に親しまれている作品の一つであり、ブラームスの代表作として広く演奏されています。
「ハンガリー舞曲 第5番」は、民族的なリズムと華やかな旋律、そしてブラームスの巧みな編曲によって生まれた、躍動感あふれる名曲です。
ハンガリー舞曲第5番(ブラームス)
ブラームスは1850年代の前半に、バイオリン奏者のエドゥアルト・レメーニの伴奏者としてドイツ各地で演奏旅行を行いました。その時にレメーニからジプシー音楽を教えられて魅了され、ハンガリーのジプシー音楽を多数採譜し、それらを編曲して出版したものがこの舞曲集です。
盗作として訴えられ裁判に発展
1869年にピアノ連弾曲として『ハンガリー舞曲集』が出版されると、空前の大ヒットとなりました。ブラームスがあえて「作曲」ではなく「編曲」としたのは、伝統音楽への敬意からでした。
しかし曲の大成功を知ったかつての旅の相棒レメーニらは、「自分たちが伝えた音楽を、勝手に使った盗作だ」として、ブラームスを相手取って裁判を起こします。
裁判の結果はブラームスが「自身が作ったオリジナル曲」ではなく、「伝統音楽の編曲」として発表していたことが認められ、ブラームス側が勝訴したということです。

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