作曲者:グスタフ・マーラー(1860~1911)
作曲年:1903~1904年(1905~1906年に改訂)
初演:1906年5月27日
グスタフ・マーラーの交響曲第6番《悲劇的》は、1903年から1904年にかけて作曲された作品です。1905年に管弦楽法の仕上げが行われ、さらに1906年の初演に向けて改訂されました。初演は1906年5月27日、エッセンでマーラー自身の指揮によって行われました。
全4楽章からなるこの交響曲は、マーラーの作品の中でも特に厳しく、暗い性格を持っています。第1楽章から力強い行進曲風の音楽が進み、激しい葛藤を繰り返しながら、最後の第4楽章では巨大な管弦楽が極限まで緊張を高めていきます。そして終結部では、勝利や救済ではなく、力尽きるように音楽が沈み込んで終わります。
交響曲 第6番「悲劇的」:Gustav Mahler
幸福な時期に書かれた「悲劇」
興味深いのは、この作品がマーラーの人生で比較的幸福な時期に作曲されたことです。
マーラーは1902年にアルマ・シントラーと結婚し、二人の娘にも恵まれました。第6番が書かれた1903~04年は、マーラーがウィーン宮廷歌劇場の芸術監督として活躍していた時期でもあります。つまり、《悲劇的》は、実際に人生の悲劇に直面していた時期に書かれた作品ではありません。
ところが、その後の1907年には、長女マリアの死、マーラー自身の心臓病の発覚、さらにウィーン宮廷歌劇場での地位を退くという大きな出来事が相次ぎました。そのため、この交響曲は後世、「マーラー自身の運命を予言した作品」として語られるようになりました。しかし、これは作曲後に起きた出来事を作品と結び付けた、いわば結果論として考えるのが適切です。
「運命のハンマー」
この作品を象徴するのが、第4楽章に登場する巨大なハンマーの打撃です。
マーラーはアルマに、このハンマーの打撃について、英雄が運命によって何度も打ち倒されるようなイメージを語ったとされています。
初期の構想ではハンマーの打撃はさらに多く、改訂を経て数が減らされ、初演時には3回。その後マーラー自身が最後の1回を削除し、一般的な版では2回の打撃として演奏される形になりました。
このハンマーは普通の金属的な音ではなく、「斧で打ちつけるような、短く強く、鈍く響く音」が求められました。しかし初演のリハーサルでは十分な音量と効果が得られず、マーラー自身もさまざまな方法を試したとされています。
1906年の初演では、この作品のあまりに大規模で複雑な内容のため、念入りなリハーサルが行われました。マーラー自身が指揮した初演は必ずしも大成功とはいえず、批評家の反応も厳しいものでした。
しかし、この作品の価値をいち早く理解した若い音楽家もいました。後に20世紀を代表する作曲家となるアルバン・ベルクとアントン・ヴェーベルンは、この交響曲を高く評価しました。特にベルクは第6番を非常に重要な作品として受け止め、マーラーへの強い敬意を示しています。
また、《悲劇的》という副題そのものにも興味深い問題があります。1907年のウィーン初演のプログラムには「第6交響曲(悲劇的)」と記されましたが、1906年の初演や楽譜では必ずしもこの名称が一貫して使われていません。そのため、「悲劇的」という名称をマーラー自身が正式なタイトルとして付けたのかについては、現在も議論があります。
《悲劇的》は、単に暗く恐ろしい交響曲というだけではありません。人間が運命に立ち向かい、力強く前進しながらも、最後にはその力を失ってしまう――そのような巨大なドラマを、言葉を使わずに管弦楽だけで描いた作品です。
マーラーの交響曲第6番は、「勝利」で終わることを拒んだ交響曲ともいえます。激しい生命力と絶望が同居するその音楽は、マーラーの交響曲の中でも特に孤独で、強烈な印象を残す作品です。

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