交響曲第9番「新世界より」 ドボルザーク

ピアノ演奏 管弦楽曲・協奏曲・弦楽曲

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作曲者:アントニン・ドヴォルザーク(1841 - 1904)
作曲年:1893年

《交響曲第9番 ホ短調 作品95「新世界より」》は、チェコの作曲家アントニン・ドヴォルザークが1893年に完成させた交響曲です。ドヴォルザークがアメリカのニューヨークに滞在していた時期に作曲され、現在では彼の最も有名な作品の一つとして親しまれています。

「新世界より」という題名は、ドヴォルザークがヨーロッパから見たアメリカという「新世界」に滞在し、そこで受けたさまざまな刺激を音楽に表したことに由来します。

特に第2楽章の美しい旋律は有名で、日本では「家路」という題名でも広く知られています。ゆったりとした哀愁を帯びた旋律は、郷愁や遠い故郷を思わせる印象的な音楽です。

一方、この作品にはアメリカの黒人音楽や先住民の音楽などから受けた影響も見られます。ただし、特定の民謡をそのまま引用したものではなく、ドヴォルザークがアメリカで接した音楽的要素を、自身のチェコ音楽の感覚と融合させて作り上げた作品と考えられています。

1893年12月、ニューヨークのカーネギー・ホールで初演され、大きな成功を収めました。その後、世界中で演奏されるようになり、現在もクラシック音楽を代表する交響曲の一つとなっています。

壮大で力強い第1楽章、郷愁を誘う第2楽章、躍動的な第3楽章、そして劇的な第4楽章という構成を持ち、全曲を通して豊かな旋律と力強いオーケストレーション(管弦楽による音の組み立て)が魅力となっています。

《新世界より》は、ドヴォルザークが異国の文化から刺激を受けながら、自らの音楽的な個性を失うことなく生み出した傑作です。特に「家路」で知られる第2楽章は、作品全体の中でもひときわ親しみやすく、多くの人々に愛されています。

交響曲第9番「新世界より」 ドボルザーク


「家路(Goin' Home)」について
第二楽章のメロディにドヴォルザークの弟子だったウィリアム・A・フィッシャーが
「Goin' Home」という詩を付け、歌曲として発表したものです。

参考までに「野上 彰」訳詞を掲載しておきますが、「遠き山に日は落ちて」(堀内敬三:訳詞)は著作権保護期間中のために掲載していません。

          家 路  訳詞:野上 彰  

1.    響きわたる 鐘の音に
          小屋に帰る 羊たち
          夕日落ちた ふるさとの
          道に立てば なつかしく
          ひとつひとつ 思い出の
          草よ花よ 過ぎし日よ
          過ぎし日よ

2.    やがて夜の 訪れに
          星のかげも 見えそめた
          草の露に ぬれながら
          つえをついて 辿(たど)るのは
          年を老いて 待ちわびる
          森の中の 母の家
          母の家

W.A.フィッシャーが「Goin' Home」を発表したのが1922年ですが、堀内敬三の「遠き山に日は落ちて」が発表されたのは戦後です。それよりも20年以上も前の1924年には宮沢賢治は自分の詞「種山ヶ原」をこのメロディーで歌っていたそうです。

          種山ヶ原 宮沢賢治

          春はまだきの朱(あけ)雲を
          アルペン農の汗に燃し
          縄と菩提樹皮(マダカ)にうちよそひ
          風とひかりにちかひせり
          四月は風のかぐはしく
          雲かげ原を超えくれば
          雪融けの草をわたる

          繞(めぐ)る八谷に劈靂(へきれき)の
          いしぶみしげきおのづから
          種山ヶ原に燃ゆる火の
          なかばは雲に鎖(とざ)さるる
          四月は風のかぐはしく
          雲かげ原を超えくれば
          雪融けの草をわたる

まだき=ある時点を想定して、それに十分には達しない時期・時点の事。
菩提樹皮(マダカ)=菩提樹の皮で作った蓑(みの)のことで、菩提樹をこの土地の方言で                               マダという。
劈靂(へきれき)=雷、または雷が急になりひびくこと。

種山ヶ原(たねやまがはら)は、岩手県奥州市、気仙郡住田町、遠野市にまたがる物見山(種山)を頂点とした高原地帯で、別名「種山高原」とも呼ばれています。ここは宮沢賢治ゆかりの景勝地「イーハトーブの風景地 」の一つとして国の名勝に指定されています。

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