チェコ人のドボルザークがすでに作曲家・音楽家として世界的に名声を得ていた1892年、ニューヨークの音楽院に院長として招かれ、そこで約3年間を過ごしました。その滞在中に作曲されたのがこの第9番です。
題名の「新世界」とはアメリカのことで、祖国チェコへの望郷の念とアメリカ生活での思いを込めた曲となっており、彼の最後の交響曲でもあります。
日本では「新世界より」はオーケストラの演奏会で最も多く演奏される曲目の一つでもあり、ベートーヴェンの「運命」、シューベルトの「未完成」と並んで「3大交響曲」と呼ばれることもあります。
第1楽章
第2楽章
第3楽章
第4楽章
「家路(Goin' Home)」について
第二楽章のメロディにドヴォルザークの弟子だったウィリアム・A・フィッシャーが「Goin' Home」という詩を付け、歌曲として発表したものです。
参考までに「野上 彰」訳詞を掲載しておきますが、「遠き山に日は落ちて」(堀内敬三:訳詞)は著作権保護期間中のために掲載していません。
家 路 訳詞:野上 彰
1. 響きわたる 鐘の音に
小屋に帰る 羊たち
夕日落ちた ふるさとの
道に立てば なつかしく
ひとつひとつ 思い出の
草よ花よ 過ぎし日よ
過ぎし日よ
2. やがて夜の 訪れに
星のかげも 見えそめた
草の露に ぬれながら
つえをついて 辿(たど)るのは
年を老いて 待ちわびる
森の中の 母の家
母の家
W.A.フィッシャーが「Goin' Home」を発表したのが1922年ですが、堀内敬三の「遠き山に日は落ちて」が発表されたのは戦後です。それよりも20年以上も前の1924年には宮沢賢治は自分の詞「種山ヶ原」をこのメロディーで歌っていたそうです。
種山ヶ原 宮沢賢治
春はまだきの朱(あけ)雲を
アルペン農の汗に燃し
縄と菩提樹皮(マダカ)にうちよそひ
風とひかりにちかひせり
四月は風のかぐはしく
雲かげ原を超えくれば
雪融けの草をわたる
繞(めぐ)る八谷に劈靂(へきれき)の
いしぶみしげきおのづから
種山ヶ原に燃ゆる火の
なかばは雲に鎖(とざ)さるる
四月は風のかぐはしく
雲かげ原を超えくれば
雪融けの草をわたる
まだき=ある時点を想定して、それに十分には達しない時期・時点の事。
菩提樹皮(マダカ)=菩提樹の皮で作った蓑(みの)のことで、菩提樹をこの土地の方言で マダという。
劈靂(へきれき)=雷、または雷が急になりひびくこと。
種山ヶ原(たねやまがはら)は、岩手県奥州市、気仙郡住田町、遠野市にまたがる物見山(種山)を頂点とした高原地帯で、別名「種山高原」とも呼ばれています。ここは宮沢賢治ゆかりの景勝地「イーハトーブの風景地 」の一つとして国の名勝に指定されています。
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