ポーランドのテクラ・バダジェフスカ(1834-1861)はサロンでのピアノ演奏家として活躍し、自ら作曲も行っていました。「乙女の祈り」は22歳時の作品で、この楽譜を自費出版しますが殆ど売れませんでした。
その後1858年にフランスの音楽雑誌の付録としてパリで発表され大ヒットとなります。その後世界各国でも刊行され幅広く人気を得ましたが、当時のポーランドの音楽界ではこの曲の「芸術的価値は低い」と評されていました。
その理由は音楽に高い芸術性を求められた時代の中で、作曲者のバダジェスカは専門の音楽教育を受けていないアマチュアの作曲家であり、また当時としては珍しい女性の作曲家であったこと。それにこの曲は初心者から中級者向けで簡単に演奏できることにもよるようです。
乙女の祈り
バダジェスカはこの曲が大ヒットした数年後には亡くなっており、また第二次世界大戦によって彼女に関する資料や楽譜も失われ、現在では「乙女の祈り」以外は知られていません。ポーランドでも彼女の認知度は非常に低いという事です。
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